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二十三夜





 はい、そうです。その男を殺したのは私です。
 ええ、そうです。その男も私が殺しました。
 その男についても、そう、聞くまでもないでしょう?私のスカートにその人の体液と血がこびりついていたのだから。

 どうしてAを殺したか?どうしてBを殺したか?そしてどうしてCを殺したか?

 ……いいえ、みんな優しい人でした。みんな家庭はあっても、週に二回は会ってくれたし、美味しいものも食べさせてくれたし、気持ちのいいセックスもした。

 ただ、結婚だけはしてくれないって、みんな判を押したように言うんです。家庭は壊せない。責任があるから、って。

 結婚したかったのか?

 いいえ、特にそんな事は思いませんでした。彼らと結婚だなんて、考えてもみませんでした。

 じゃあどうして男たちを殺したのか?

 それは、やはりこうして自首した以上は、お話しなければいけないのですよね。


 刑事さん、お調べになっているからご存知だと思うのですけれど、私の家は母子家庭です。母一人、娘一人です。
 ええ、父は私が五歳の夏に出て行きました。母は再婚する事もなく、ただ私のためだけに、働いてくれました。だから私、商業高校を出てすぐ、就職しました。母を楽にさせてあげたい、心からそう思っていましたから。
 大手の自動車工場の、経理部門に就職できた事で、母は本当に安心してくれました。これからは、母が自分の欲しいものを我慢して、私の学費の心配をしなくてもいいと思うと、私の心も晴れ晴れとしていました。
 就職して1年も過ぎると、お化粧をして、おしゃれをして、仲間達と遊びに行くことも覚えていました。そんな中で、自然と男の方ともお付き合いをするようになったんです。同じ部門の一つ年上の先輩です。
 私にしてみれば、全てが始めて経験する事ばかりで、その恋に夢中になっていました。
 結婚願望の強かったその人に、アクアマリンの石のはまった、小さなリングを渡されて、耳元で
「結婚しよう」
 と、囁かれれば、上の空のまま何度も頷いてしまうくらい、その人に夢中だったのです。まだ若かったけれど、この人となら楽しく毎日を暮らしていけると、そう思い込んでいました。
 けれど、母は猛反対しました。理由を聞けば
「まだ早い」
 としか言いません。彼は何度か母に会いに来てくれましたが、剣もほろろなその態度にくじけて、次第に我が家から足が遠のいていきました。
「どうして私が幸せになる事を、そんなに嫌がるの! 」
 私はある日、ついに母に向かってそう叫んでいました。すると母は、突然滂沱の涙を流しこう言ったのです。
「あなたは私をおいて、一人で幸せになるって言うの! 」
 私には、何一つ口に出来る言葉はありませんでした。母を一人にしようなどと、思ったこともありませんでした。
 けれど、母は恐かったのです。私が嫁いでいき、たった一人で古びた小さな家に取り残される孤独が。
 そう、私たちは親子であり、戦友でした。どんな時も、二人で励ましあいながら生きてきました。父親のいる家庭よりも、恐らく深いつながりが、私たち母娘には出来上がってしまったのです。
 私は涙を流している母を、ぼんやりと眺めていました。
 ああこれからは、私がこの人を守らなくてはいけないのだなと、そう思いました。

 私はその日の夜、眠れずにいました。なんど寝返りを打っても、睡魔はやってきません。私は眠れない時にいつもそうするように、棚に飾ってある、赤ん坊用の枕を手に取りました。
 それは蛙の顔をかたどったもので、口の部分が大きく丸くあいている、タオル地の枕です。赤ん坊の頭が、ちょうどその口の部分にすっぽりおさまり、頭の上に蛙の大きな目がのぞいている、そんな風に作られている枕です。
 この枕は、私が幼い頃使っていたものでした。生まれたばかりの私のために、父親が買ってきたものだそうです。何故かこの枕がないと、眠らずに泣き続ける子供だったと、母が言っていました。大人になっても大事にとってあったのは、眠れない時に、この枕に触れていると不思議と心が落ち着いて、いつしかすっと夢の中へ潜り込んでいけるからでした。
 赤ちゃんが、お母さんの心音を聞いて安心するようなレベルの、子供じみた趣味です。大人になってまで、お恥ずかしい限りですけれど。
 私はその古ぼけた枕の、くにゃりとした感触を右手に感じながら、ベッドの上で暗い天井を見上げていました。枕もとに置いてある、小さなスタンドの、オレンジ色の明かりに、母の顔が浮かび上がります。まるで子供のように泣きじゃくった母の顔。
 そして私はもう、母に守られる人間ではないのだと、はっきりと悟りました。母を守らなくては。強くならなくては。大人にならなくては。
 右手の中で、蛙の枕が、ぎゅっと縮みます。
 私はこの枕を捨てる事を決めました。いつまでも、子供じみた事をしていてはいけない。どこかで、自分に折り合いをつけるべきなのだ。

 刑事さんは二十三夜祭りをご存知ですか?
 十五夜に、お月見をするけれど、あれに似た行事です。「月待ち」と言う言葉が民俗学に出てきます。月信仰が由来だそうです。私がその二十三夜祭りについて知ったのは、ほんの偶然でした。
 彼に別れを告げ、少し一人で旅をしたいと、そんなセンチメンタルなことを思いついた私が、旅行代理店のチラシを見ているうちに、ふと目に止まったものです。

 満月の次にやってくる月。真夜中に昇る下弦の月を待ちながら、使い古した日用品を焚き火に燃やし、賑やかに飲み食いをする、というその行事に、私は心惹かれました。
 二十三夜の月を待つ。その月を見れば幸せになれるという。

 私の枕を燃やす場所は、そこに決まりました。そのままチラシを握り締めて旅行代理店に入り、あっという間に日程と宿を決めたのでした。

 そこは小さな町でした。穏やかな気候と、のんびりとした雰囲気は、多少物足りないくらいで、でも、今の私にはこれくらいがちょうどいいのだと思えました。
 旅に出るその日、たった三泊四日の旅でも、母は心配そうにこう言いました。
「女の子の一人旅だなんて」
 いつもならお母さんも一緒に、と口にしたかも知れません。しかし今回は、自分が母を守る決意を固めるための旅でもありました。そして、さすがに母も、自分が反対したせいで娘が恋人と別れることになったのが、気にとがめる様子でしたから、それ以上は言わずに私を送り出してくれました。
 その時の母の背中を思い出しながら、私は旅館の門をくぐりました。ひなびたその旅館には、泊り客も少なく、旅館の人たちは親切に私を出迎えてくださいました。
 お茶を出しにきた女将さんに、二十三夜祭りを見たいのだと言うと、それじゃ一緒に行きましょうかと、親切に言ってくださいました。私はご好意に甘える事にしました。

 暗い夜でした。時間は十時を回り、都会の夜の灯りが存在しないこの町には、しんとした本物の闇があるのでした。真っ黒な山並みは恐ろしいほど近くにそびえたち、その上にグラデーションで淡く描かれたかのような夜空が広がっています。紺色のビロードの上に、ちらちらと輝く星の数は、私の住む街では見たこともない驚異的なものでした。
 星の光がこんなに明るいものなのだと初めて知った私は、首が痛くなるくらい上を見上げて、前を歩いていく女将さんに、危うくぶつかりそうになりながら、夜道を進んでいきました。
 神社の鳥居が見える、広い草原に、大きく薪が組まれています。そこにはもうすでに、男衆がうまく火を放っていて、ぱちぱちと火の粉が上がっていました。
 女達は手作りの団子や饅頭や漬物などを、持ち寄ったキャンプ用のテーブルに並べています。私は女将さんにすすめられるまま、穏やかな味わいの素朴なご馳走を口にして、普段は飲まないビールを頂きました。
「あそこに、古いものを入れて燃やすといいんですよね」
 女将さんに、焚き火の火を指差しながら尋ねると、人懐っこそうな笑顔を私に向けて
「そうなんですよ。古いものが寿命を終えて天に帰り、私たちに幸せを送ってくれるのですって」
 と、答えてくれました。私は紙袋に入れて、大切に持ってきた、蛙の枕にそっと触れました。
 その時です。突然背後から男の声がしました。
「エリコ! 」
 それは私の名前でした。私は驚いて声のした方を振り返りました。
 炎の赤い色がちらちらと映るその男の顔は、私ではなく、私の前方にいた少女に向けられていました。少女は草むらにしゃがみこみ、もらったお団子を握り締めたまま、焚き火を見つめているのでした。
「エリコ、迷子になるぞ、こっちへおいで」
男が再びそう呼ぶと、おかっぱ頭の少女は、ひょこんと立ち上がり、その男に向かって走り出しました。男も少女に近付いてきます。ちょうど焚き火の火に煽られる場所で、男は少女を抱き上げました。
少女の湿った高い笑い声が響くのと、男の喉元にある、特徴的なアザを見つけるのは同時でした。
 ほら、それは私の喉元にもあります。紫色の、直径4センチほどの蝶に似た形のアザは、幼い頃から私の首にくっきりとあって、母はよく
「あなたのお父さんも同じ場所にそんなアザがあったわ。遺伝ね」
 と、つぶやいたものでした。
「ああ、カイバラさん、娘さん大きくなったわねえ」
 私の隣にいた女将さんが、その男に声をかけました。カイバラ。私はその名前を知っています。そう、父の名前は開原武雄(かいばらたけお)といいました。
 私が幼い頃、母の化粧品が珍しくて、箪笥をいたずらしている時に、引き出しの奥から「開原」と言う印鑑を見つけました。
 母は旧姓に戻っていましたから、私はその印鑑に刻まれた名前が何を意味するか知らなかったのです。母に問い掛けると、一瞬顔をしかめたあと、父の名前だと言って教えてくれました。
「あなたのお父さんの名前は“開原武雄”と言うのよ。もし私が死んでしまった時のために教えておくわ」
 母の声が、まるで本当にすぐ横にでもいるかのように、耳に響きました。
 私はその男から目をそらすことが出来ませんでした。男はふっと私を見やり、一度焚き火へ目をやってから、慌てたようにもう一度こちらを見ました。
「エリコ……?」
男の口がそう動いています。私は傍らに置いていた紙袋から、そっと蛙の枕を取り出しました。きちんとそろえた膝の上に、その枕を立てるようにして置き、男の顔を見つめました。
男は少女を下ろし、よろよろとためらいがちに私に近付いてきました。すると私の隣にいた女将さんが
「あら、開原さん、奥さんもいらっしゃったわよ」
 と、華やかな声で話し掛けました。男の背後には、小さな女の人影がありました。年の頃は、私の母より十歳も若いでしょうか。穏やかで、少しだけ勝気な瞳をした、小柄な女性でした。その女性は、男の右腕にそっと触れながら通り過ぎ、女将さんに会釈をしました。
「思い出すわねえ。7年前の二十三夜祭りで、あなたたち、子供が欲しいと願をかけていて、その後すぐにエリコちゃんが出来たのよねえ」
 女将さんが、その女性に隣に座るよう促しながら話し掛けています。
「二十三夜祭りはね、月の神様のお祭りだから、赤ん坊ができるようにだとか、子供の無事な成長だとかそう言う事を祈ったのがはじめなのよ。要するに女達のお祭り。お客さんも、いい縁がこれで出来るわよ」
 女将さんの声を聞きながら、私は蛙の枕を両手で握り締め、そっと立ち上がりました。手のひらはじっとりと汗ばんでいました。
 そしてゆっくりと男の隣を通り過ぎ、焚き火へと近付いていきました。
 ゴオオオっと言う音とともに、火柱が上がり、熱風が頬を焼いていきます。私はためらわず、両手を高く上げて枕を炎の中へ投げ込みました。ふわっと空を舞い、枕はオレンジ色の炎の中で、すっと焼け落ちていきました。
 蛙の大きく開いた口の部分は、相変わらず笑っているようで、見開いた瞳はいつまでも私を見ているような気がします。いつの間にか、男が私の横に立っていました。
「絵理子。申し訳ない。許してくれ」
 薪の燃える、ぎしぎしという音に混じって、男がつぶやきました。
 私は、逡巡し、そっとその男の顔を見上げてみました。深い皺が目尻に刻まれ、風化したかのような淡い印象を、肩の辺りに漂わせた男でした。
 許せない。許せない。許せない。一体何を許せばいいの?一体何について「許してくれ」と言っているの?
「うん。許してるよ」
 私の口をついたのは、その一言でした。
 いつの間にか真夜中の二十三夜の月が現れていました。
 下弦の月は、にやりと笑う口の形に似ていました。
 私は父親の顔をまっすぐに見つめ、そして、にっこりと笑って見せてから、その場を去りました。

 本当は、その場で
「許せるわけがない」
 と、
「何故生まれた子供に私と同じ名前をつけて、幸せな家庭を他に築いたのか」
 と、
「何故私を、そして母を捨てたのか」
 と、父を罵るべきだったのかも知れません。そして泣いて暴れるべきだったのだと、今は思います。
 でも、私、どんな父でも、たった一人の父親に、嫌われたくなかったのです。
 そして、どんな父であっても、たった一人の父親だから、許してあげなくてはと思ったのです。
 そんな風にいい子を装って、私の心は押しつぶされていきました。枕を焼いてしまったことで、私は、私自身の人間らしい感情も消失してしまいました。思えば、あの枕は、父が私に与えてくれたものの中で、唯一形のあるものでした。
 父にぶつける事の出来なかった激しい憎悪は、私の中でゆっくりと育っていきました。
 私が殺した男たちは、私にとって、全部父親の代わりだったのでしょうね。
 彼らは他に家庭を持っていて、それを壊されるのを恐がった。
 私は、家庭を持たない男に興味はなかったけれど、家庭を理由に私から離れようとする男の心は許せなかった。まるで父親が私を捨てた時のように思えるからです。
「最近女房がうるさくてね。子供とも遊んでやりたいし。早く帰るけど許してくれよ」
 その言葉がきっかけでした。あの男たちを殺したのは。
 許してくれ?許さない。絶対に。
 あの時父に言えなかった言葉を吐き出し、私は男たちの胸に包丁を突き立てました。他に理由なんてありません。男たちを殺した理由なんて。

 刑事さん。
 母は、きっと、悲しんでいるでしょうね?守ってくれるべき娘がいなくなって。
 刑事さん。
 でも、私は一体誰に愛されていると信じればいいんでしょう?父に?母に?それとも殺した男たちに?
 私は何を信じたら、人を殺さずにいられるんでしょう?
 月の神様は、私が憎悪のままに人を殺す事が、私の幸せなのだと、そう判断したのでしょうか?それとも、私は、神様にさえ見放された、生きる価値のない女だと言う事なのでしょうか?
 刑事さん。私にはそこのところが、本当に全く、分からないんです。